美容師

1984年 通信教育で高校在学中、山野美容専門学校・通信科に入学。1986年、高校卒業を迎えて山野美容商事(株)・池袋サロン「山野愛子美容室」池袋PARCO店に入店。1987年1月、美容師国家試験合格。同年7月、米国・カルフォルニア州ロスアンゼルス市にあった「YAMANO Beauty college」に留学。1989年「Joe Blasco make up academy」にて特殊メイク科のディプロマ取得後、帰国。

帰国後、(株)美容ヤマノのサロン「Aiko Yamano Salon of Beauty」吉祥寺9ビル店に入店。後に、同社池袋サロン「Q’s Co.」池袋PARCO店店長として就任。1997年12月独立し、「Hair Salon Laggon」赤坂店オープン。2007年4月、ヤマノサロンオブビューティーに戻り、翌年支配人に就任。現在に至る。

経験した職業

美容師・ヘアメイク一般・イベント、映画、舞台特殊メイク・ツアーガイド(L.A.にて)・葬儀湯灌業(メイク)・マジシャン・教職・ヘアーショー・トークショーetc.

主な職歴と活動

山野美容専門学校 通信課卒業
YAMANO Beauty College L.A.卒業
Joe Blasco Make-up school VFX-make up科 卒業
シザーズリーグ2001レギュラー出演 / 2000 CX-TV
ミスインターナショナル日本代表プロデュース / 財団法人 国際文化協会(2006年、2007年)
山野式ヘッドスパ出版 / ワニブックス社2007
バディスポーツ幼児園・世田谷校 安全プロジェクト委員会委員2012.10 - 2014.2

美容師国家試験 免許取得
インドネシア政府公認・クリームバス プロフェッショナル ディプロマ取得

プロデュース

Beauty Spa「畔」(ほとり)開店プロデュース / 舘山寺温泉 ホテル九重内
YAMANO Beautimage 開店プロテスース / 株式会社セレス相模原店 石和温泉ホテル春日居
Hair Salon LAGOON 神宮前店
Hair Salon Lagoon 赤坂店
Hair Salon インセアリ開店プロデュース(西東京市)
Hair Salon Briante 開店プロデュース(千葉市)
Hair Dresse AIKO YAMANO 開店プロデュース / さくら野百貨店 仙台
Hair Salon Lagoona 開店プロデュース / 経堂

現在

YAMANO Salon of Beauty 支配人
学校法人 山野学苑・山野美容専門学校教職員
株式会社MyjStyle(マイスタイル)店舗活性・教育担当
真言宗観音派玉泉山立願寺 別格本山 最勝不動院 責任役員

授業や講演で話す事(一例)

幼少期から物事に対しての「興味」を持つ事が多すぎて、次から次へと手を出して行く…興味を持ったものは数知れません。
小学生の時は、プラモデルとTVドラマ「北の国から」。
両方の「好きっ!!」って気持ちが合体してハンドメイドで、丸棒を削って「北の国から」の丸太小屋を再現してしまいました。
ただ、高学年になると「旅客機」ライクな人生が始まります。※これは現在進行形です。

中学になると、かっこ良い物への憧れも出て来ます。※これが、アーチェリーでした。
結果、アーチェリー部に属し、3年までは続けました。高校に入ると、少し指導者な感じに憧れを抱き…生徒会に入会。2年目、文化祭実行委員長を拝命。なんか、頑張ってました。「なんか」と付けたのは、今になっては解らないんです。

人生の転機は、高校2年生。ある晩、両親との夕食時に、将来「パイロットか旅客機の整備士になりたい」と言いました。数日後、父親から「学校帰りに事務所に寄れ」と、登校前に言われました。当然、僕は「??」。下校時、JR山手線「代々木」駅下車して事務所へ。「おうっ!」と父親。「すぐ出るから」と。「どこへ?」と考える。車窓から流れる景色が雑多な「職安道り」と認識した頃、祖父母宅(通称=おもや)到着。「??×100」と僕。おもむろに、祖母の隣に座った父親を見て「??×1000」と僕。

(中略)

高校を卒業すると、池袋PARCOのサロンへ就職。でも、高校時にアルバイトで行っていたので、「新人」と言う感じではありませんでした。1年後、アメリカはロスアンゼルスに渡米留学する訳です。19歳でした。これは「人生観」変わりました。完全に。完璧に。

(中略)

「若い時は直に頭に入る。」と良く言われていました。今になって「本当だっ」と思います。
色々書きたいのですが、ここではやめておきましょう。でも、そう思います。

人生の中で、「出来たっ!!」って喜びが、いっぱいありました。運動会やお遊戯会。
コンテストや競技会。遊び。仕事。人生。本当に色々。

その体験を、今の若い世代に教えてあげたいと考えています。幼少期からいつ頃迄なのかは、人それぞれだと思います。手放しに喜ぶ子供と同じ顔が出来なくなった瞬間。

大人になればなるほど皆、当然真逆の体験を積み重ねて来てる訳です。
そういう事が、あるんだと。包み隠さずに、今の若い子達に話してあげるべきだと思っています。

そうすれば、学校を卒業して社会に出て、ちょっと追い込まれると駄目になる若者を減らすことが出来ると考えています。
所謂、頑張れる子達にしてあげないと…と。

じゃないと、僕みたいになっちゃう。
普通の神経じゃ、やってられなくなります。

今迄の経験で、これから先の人生で窮地に追い込まれても、相手に鼓動を止められない限りは、頑張れる覚悟を持ち合わせました。
「こんな経験なら、しなくて良ければしないほうが良い」と考えていまう事もしばしば、ありました。

いつどうなるか解らない今日。一日一日を、楽しんで生きる為に、若者に伝えなきゃならない。
何かに打ち込める心を持つ事を・・・

僕は、19歳の夏。あんなに英語がダメだったのに、L.A.での休日の朝、ラジオのDJが「おはようございます!皆さん。」「今日からサマータイムが終わります。

時計の時間、大丈夫ですか?現在、朝の8時。時計の針が7時の人は、直してね〜っ」みたいな。
「やばい。遅刻….」と僕。
必死に、言い訳考えようとした時。「あれっ? 解った。」と僕。

この時、身体に電気が走るほど嬉しかったのを今でも体感的に覚えています。
こういうことを、若い子達に伝えたいと考えています。※この真逆の「恐怖体験も併せて….」